堀口大学のフランス/月下の一群
昨日のジャン・コクトーとギョーム・アポリネールにちなんで...。
私がこの2人を知ったのは、堀口大学(1892.1.8〜1981.3.15)の「月下の一群」という訳詩集。
まず、タイトルがカッコいい。「月下の一群」である。「月下」も「一群」もその言葉一つで、情景を思い浮かべることができるのだが、その二つが連なって「月下の一群」となると...これはもう究極のタイトルなのではないか...読むしかない(と、当時の私は思った)。
コクトーやアポリネール以外にも、ヴェルレーヌやランボーなんかの詩も訳されていて、近代フランスの香りが充満した1冊なのかもしれない。それでいて、訳には無理がなく、美しい日本語が並んでいた。そんな中、心引かれた幾つかに、コクトーとアポリネールもあった。
耳(ジャン・コクトー)
私の耳は 貝の殻 海の響を懐かしむ
ミラボー橋(ギョーム・アポリネール)
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われ等の恋が流れる
わたしは思ひ出す
悩みのあとには楽しみが来ると日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る手と手をつなぎ顔と顔を向け合はう
かうしてゐると
われ等の腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る流れる水のやうに恋も死んでゆく
恋もまた死んでゆく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る日が去り月が行き
過ぎた時も
昔の恋もふたたびは帰らないミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る
海外からの文化が一気に押し寄せた明治・大正の頃は、そうした新しい事柄や思想に対応するために、多くの日本語が生み出された。たとえば、”建築” といった味気ない言葉もその時の産物だ。
文学においても、もちろんこうした”新しい日本語”は、作られていっただろうし、特に、その言葉の持つ感性を、如何に日本語化するか...といったことは、大きな問題であったに違いない。
そういう意味において、「月下の一群」というタイトルを持つこの訳詩集は、単なる訳に留まらない、彼自身の文学作品ともなっている。
外交官の父親に付いて、青年期に色々な国での生活経験のある堀口大学は、当時の日本人としては珍しい体験をしている。与謝野鉄幹に弟子入りし、与謝野晶子を敬愛し、マリー・ローランサンをはじめとするフランスの同時代の文学者や芸術家とも友人関係にあったという。
しかし、堀口大学のフランスはもっと多様である。
メーテルリンクにサン=テグジュペリ、 モーリス・ルブランの「怪盗ルパン」も訳してもいる。こうした訳書を並べてみた時、彼は、どんな思いで、訳していたのだろうか?...と考えたりもする。
もちろん、歌人であり詩人でもあるから歌集や詩集も出している。
いずれにせよ、私にとっての最初のフランスは、堀口大学のフランスであった。






























